EZOライダーレポート  Vol.78


2011年3月10日〜3月17日
東日本大震災後のレポート


今回の東日本大震災で被災された方には心からお見舞い申し上げます。
惜しくもお亡くなりになられた方へは謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
また、1日も早い復興に当社は尽力を尽くす決意です。
今回の震災に当たり、EZOライダーレポートも自粛するべきかどうかを迷いました。
しかし、被災地の復興にはオートバイは欠かせないツールとして活躍することを確信し、
賛否両論あるなか、レポートは続行させていくことを決意させていただきました。
救援物資としてのバイクを配達する、空いたスペースにも少しでも多くの救援物資を
積み込み、被災された方にお届けできればと考えております。




急遽!救援物資と被害調査用のバイクを被災地に運ぶ!その為の許可証。
         

3月10日(木)
今日の硫黄山(by おかもと)。

3月10日の、いつもの岡本くんからの硫黄山の写真。 
   
     BHSの立役者?佐藤君が来た。

10年前にバイク宅配サービスとして、業務を立ち上げた時に、
日本全国を走り回った佐藤君が大阪本社に来た。
愛車がすごい。。。。
BHS立役者の3役が揃った?

オートバイ宅配サービス、バイクヒッチハイクサービスを立ち上げた当初
この3役で盛り上げ、今のBHSがああると言ってもいいでしょう。。。。
 
   
    もりさんは一路、関東営業所へ。

バイク輸送の繁忙期を迎え、
応援業務として大阪から関東営業所のある、埼玉県さいたま市に向かう。
レンタルバイクを予定している車両の整備とテストツーリングの為に
バイクを満載して行く。

  
3月11日(金)
明け方の東名高速道路。

走りながらの撮影は危険です。
でも、リモコンを使っていますので、大丈夫です。
駿河湾の空があまりにもキレイでした。
 
   
     バイクの引き渡し場所に使える?

今回の営業目的は、今後予想されるバイクの引き渡し場所のキャパ不足。
現状の堀商会さんだけでは、まかないきれない。
堀さんの斜め前のパチンコ店の駐車場を借りれないか・・・
快い返事は返ってこなかった。。。。
始業前に到着する。

眠い目をこすりながら、首都高速の渋滞に巻き込まれながら
何とか始業前に到着する。。
始業開始早々、お得意様との打ち合わせ。
 
   
     バイクを下ろして眺めてみる。

到着して、打ち合わせをして、バイクを下ろして眺めてみた。
さあ、どれから乗ろうかな??

  
そして、午後2時46分、今回の東日本大震災が発生しました。当社の倉庫でも在庫しているオートバイが何台か倒れるという被害がありました。。。。
 


3月15日(火)
燃料を求めて長蛇の列ができる。

地震発生から不休で状況把握とお客様の安否を確認する。
しかし、電話が繋がらない。
燃料も不足するということから、ガソリンスタンドごとに長蛇の列ができます。
 
 
     ガソリンスタンドごとに渋滞。

地震発生から被災地はもちろん、関係する地域への運行は見合わせてきた。
しかし、バイク輸送は止まられない地域もあるのも確かなこと。
燃料を求めて並ぶのは乗用車の方がほとんど。。。。


大阪からバイク輸送の中継車が到着。

一度に多くバイクを運ぶことができる、大型中継車。
しかし、関東営業所に来たものの、大阪に帰る燃料はギリギリの状態。
少しの間、大型車の運行は見合わせる。
   
     復興支援物資としてバイクを被災地に送る!

救援物資が本当に必要な場所に届かない!!
災害状況を把握するためにはバイクが必要となる。
急遽、大手道路工事会社の依頼で被災地にバイクと、
飲料水などの救援物資を届けることになる。
 
千葉県や茨城県でもバイクが必要。

津波で家を流され避難所や身内の方の家に身を寄せている方がいらっしゃる、
被災地で、友人や家族を捜索するためにバイクが必要!
当社でガソリンを満タンにして、被災地まで納車をする。
燃料の入手が困難な中、近くのバス会社、ミツワ観光さんで100リットルずつを分けてもらう。
 
   
   傍らに花が咲く。

震災で人間の世界では大変な時期だが、季節の花は咲き誇る。
「がんばれ!にんげんたち。。。」こんな言葉が聞こえてきそう。
 

東名高速、浜名湖サービスエリアの様子。。。

震災前日から名古屋にいた、もりさんママからのレポート。
静岡の友人の所に行く途中の浜名湖サービスエリアの様子が届いた。
西日本から被災地に向かう緊急車両が集結していた。
   
     休憩、打ち合わせをする隊員の傍ら。。。

ツーリングを中断して帰るのだろうか。。。
神奈川県のナンバーのバイクも見られた。

  
3月16日(水)
不眠不休で事にあたる、川端くん。

被災地の状況把握、燃料の調達、確保・・・お客様との連絡・・・
ほぼ、不眠不休で事態に当たる、川端くん。
食事の時間も忘れて業務を全うしています。
 
     本当にバイクの輸送が必要な方に!

通常、今の時期は引越しや、移動でバイクの輸送は超繁忙期を迎えます。
被災された方への輸送を優先に、燃料を無駄遣いしないように、
運行ルートにロスが出ないように、協議に協議を重ねる。
救援物資、復興物資を輸送する許可証。

現在もなお一般車、全面通行止めになっている、東北自動車道を通行できる許可証。
阪神大震災の時と違い、複製が出来ないように厳重に管理されている。
 
   
     救援物資を積み込んできた!

東京の大手道路会社からの救援物資を積み込んできた。
とにかく急いで、大勢で積み込みした為、バラバラの状態。
しかし、このままでは被害調査用のバイクが積めない。。。。


現地で仕分けしやすいように積み込みした。。。。
 
東京都のスズキ2輪さんにバイクを積みに行く。

被災地では誰でも乗れる、原付スクーターがチョイスされた。
スズキのレッツ4やアドレスV50など、10台が用意された。
 
   
    これが今回用意されたバイクたち。

3月17日の朝一番にナンバープレートを用意。
空気圧チェック、始動チェックなど、もりさん、ドライバーの佐伯くんもお手伝いした。
丁重にバイクを積み込みする。

救援物資とともにバイクも積みこむ。
積載スペースははギリギリ・・・積載重量は軽くオーバー。。。それでも、待っている日知の為に。
 
   
     東北自動車道のパーキングにて。

東北自動車道は現在、緊急車両の通行のみ。
自衛隊のトラックや警察関係の車両、救援物資を積んだトラックだけ。
しかし、サービスエリアでは断水でトイレが使える状態ではない。
道路は陥没、隆起しているところがある。

画像では分かりにくいが、道路の陥没や、継ぎ目の段差が激しい。
荷物を満載したこのトラックは時速70〜80キロで走行する。
 
   
     各サービスエリアで集まる。

各地から派遣された警察の方、自衛隊の方が待ち合わせをして、次々と出発する。
各小隊について回るトラックには隊員たちの当面の食料が積んである。

  
各地から被災地に向かう緊急車両〜このパトカーの行列は30台以上。全て福岡県地方のナンバーだ。
 
福島県に入る。。。

東北自動車道も福島県に入ると、道路のダメージがかなり大きくなってきた。
道路の脇にパイロンを立てて異常を知らせる。
ここでも、復旧作業が急務とされる。
 
     道路が大きく陥没した箇所。

工事をしている場所は数か所。。。
大きなダメージがある道路の箇所は僕たちが感じただけでも、数十か所あった。

被災地に向かう災害派遣の自衛隊車両。

福島県に入ってくると、次々と被災地に向けて高速道路を下りて行く。
   
   宮城県東部道路の長町インター付近。

救援物資の配達先は仙台市青葉区の倉庫。
仙台市内にほど近い、長町インター付近から、雪が降って来た。
避難所におられる被災された方には厳しい状況が重なる。
いつも見慣れた看板が。。。。

見慣れたファミリーレストランの看板も地震の影響か。
津波の影響の無い地域でも大半が営業をしていなかった。
   
     降り続く雪。そして、救援物資の荷降ろし。

救援物資の荷降ろし作業は場所が限定されては困るので撮影禁止。
物資を待ちわびたように、作業員が総出で荷降ろし作業をする。


仙台市宮城野区のテラモーターズさんの倉庫にて。

今回の震災では燃料の供給が滞る。低燃費のバイクと言えど、ここ東北地方ではまだまだ雪が降ったり、ガソリンを買い求める行列に並ぶのは困難。
この日、塩釜市の大きな病院に電気バイクの「フリーノ」を6台納車する。。。道路が確保できていない避難所などに薬を運んだり、医師が直接向くときに使う。
 
今もなお残る惨状。 

阪神大震災をリアルに体験したもりさんは、この惨状は阪神以上に感じた。
いずれにしても甚大災害に違いないが、手つかずの場所が宮城野区から塩釜市まで続く。
   
     手が震え、言葉を無くす。。。

もりさんと同乗した佐伯くんと無言のまま被災地を通過する。
シャッターを切る手は震え、津波の恐ろしさを改めて知る。
雪が積もった仙台市内。

塩釜市の病院への納車を終え、同じバイクを仙台市内の不動産屋さんに納車する。
不動産屋さんで管理している物件の被害状況を視察するために、電気バイクが必要だということです。
 
   
     救援物資を運ぶトラックも燃料補給の行列。

緊急物資を運ぶトラックと言えど、給油には長蛇の行列ができる。
東北道の朝霞サービスエリアの様子。
一般のガソリンスタンドほどではないが、30分並んで、給油制限で30リットルまで。

  
緊急物資を運ぶトラックは往復するトラックが多い
・・・・燃料不足のストレスはドライバーにとっては大敵である。1日も早い正常入荷を待ちたい
 
 
 

今回のEZOライダーレポートの作成中に、東日本大震災が発生しました。。。。
この地震により被災された方には心よりお見舞いを申し上げますとともに、
惜しくもお亡くなりになられた方へ謹んでご冥福を申し上げます。

EZOライダーからもささやかながらではありますが、被災地への義援金の送金の手配をさせていただきました。
私たちにできること、、、、今後も考え、1日でも早い被災地の復興を応援いたします。

そして、バイクを積み込んだ空きスペースを利用して、少しでも多くの救援物資を被災地に運べるよう、埼玉県災害対策本部にも申請しております。
いつでも、支援物資を輸送できる体制を整えております。
1日でも早い災害復興に、オートバイと言うツールを最大限に活用していただくために、高栄運輸株式会社では被災地への運行も続行します。





3月14日にいただいたメールで、当社がオートバイ輸送を続行することに、疑問を持たれる方に返信した内容です。

**様

高栄運輸株式会社の森山と申します。

今回の地震については、被災された方には心よりお見舞いを申し上げます。 

お問い合わせいただいた内容については真摯に受け止め、お応えさせていただきます。
弊社でお運びさせていただいているオートバイですが、被災地で避難生活をされている方から
家族の安否確認や流された自宅を見に行くためにバイクが必要であるというお声をいただくようになりました。

もちろん、弊社としても被災地はもちろん、東北方面、太平洋側の運行は見合わせておりました。
しかも、燃料の給油規制などは被災地に限らず、関東地方、東海地方にも及びます。
奇しくも被災地以外の地域にお住まいの方は通常の日常生活に戻っておられます。

そちらの方々に対しても、「地震が有りまして配送はストップしております・・・」と言うことも言えるのですが、
オートバイの使い方は、先にも言いましたように、被災地でのバイクの活躍は期待できるものと考えられます。
弊社としましては、オートバイが被災地で支援物資をこまめに運べるツールとして、
被災された方の救助活動にも期待できるとして、直接被災地への運行も検討中です。
また、義援金はもちろんの事、被災地へ向かうトラックの空きスペースには、弊社で負担した救援物資を運ぶことも計画しています。

 

私事になりますが、1995年の阪神大震災の本震のときに、兵庫県尼崎市にいました。
家族は無事でしたが、2人の友を失いました。
道路の地割れ、陥没、隆起している中、私は実家のある宝塚市までオートバイに乗って、
両親や兄弟の安否確認、大阪から宝塚市の避難所へ、バイクに積めるだけの、
紙おむつ、生理用品を積んで何往復もした事を今でも明確に思い出します。
車は通行止めでも、バイクが入れる道路は多かったからです。
避難所で急病人が出たときも、バイクに乗って病院まで送ることもしておりました。 

**様の人道的なご意見は充分に考慮しております。
ご意見ありがとうございました。

被災された方のご心労には心よりお見舞いを申し上げます。
お亡くなりになられた方のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

高栄運輸株式会社

専務取締役  森山徳善




 
 
 
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